“大乗非仏説” についてのあるひとつの考察 [3]

Remind ・・・ ・・・

お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)入滅後、仏教教団は、上座部と大衆部に分かれてしまった。
これを≪仏教の根本分裂≫といいます。

上座部は、インドの南に伝わり、東南アジアに広がりました。(上座部仏教)
一方、大衆部は、中央アジア、シルクロードを伝わり、日本に伝来(大乗仏教)

大乗仏教は、伝播の過程でいくつもの経典が創作され、如来、菩薩、等の考え方が
まとめられていきます。

さてさて、話は“大乗非仏説”にもどりますが ・・・・・・
大乗仏教には、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えに基づいているか?、いないのか?
ということが論点になるのだと思います。
正直、大乗仏教の経典は、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)入滅後に創作されたもの
であることは、間違いなく事実であり、入滅後に弟子がまとめたといわれる原始仏教
の経典、スッタニパータやアーガマとは、そもそもテーゼが違い過ぎるように思います。
まさに全くの別物と言っていいでしょう

では、BUTU ROAD は、“大乗非仏説” を指示するのか、否か・・・・・・
結論は、「 どちらとも言えない 」 というところです。(なんだそれw

確かに大乗仏教の経典は、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えとは直接的に繋がっては
いない気もしますが、ここで思い出して下さい。

この記事の一番最初 “大乗非仏説”についてのあるひとつの考察 [1] でも書いた通り
お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は、諸行無常と因果応報を説いていました。
この世に絶対なものはなく、ものごとは縁起によって起こる。

つまり、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)自身が、自分の教えさえも諸行無常であり
因果応報によってどのようなものにも変わってしまうことを理解されていたのでは
ないかと思えるのです (bonbonno的解釈w

上座部と大衆部の対立、仏教の根本分裂、上座部仏教と大乗仏教の出現 、
すべて、お釈迦様の手のひらの上で起きた出来事 、だと ・・・・・・
ここ2~3年、大乗仏教がお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えかどうかを考えていた
bonbonno は、石から生まれた孫悟空だったのではないかと、思ったしだいです。(チャンチャンw

Born from an egg on a mountain top 🎶
      The punkiest monkey that ever popped ♪

He knew every magic trick under the sun 🎶
      To tease the Gods And everyone and have some fun 🎵

Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic 🎵
  Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic ♬ 
                                         (by GODAIGO

長々と 稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございます。  

ここに記した内容は、あくまで個人的な考えであり、既存の思想や宗教観を否定、
批判するものではありません。



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2017/06/09 (Fri) 01:08 |ながっ!トーーク |トラックバック(0) |コメント(0)

“大乗非仏説” についてのあるひとつの考察 [2]

Remind ・・・ ・・・

“大乗非仏説” とは、日本に伝わった大乗仏教(13宗派)は、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)
の教えとは、直接的には関係がない。 と言われるひとつの説。

それでは、前回に引き続き “大乗非仏説” について考えてみたいと思います。
ここで、大乗仏教の成立の経緯についてちょっと触れておきます。

今から約2,500年前のインド・ブッダガヤの菩提樹の下でゴータマ・シッダールタが
悟りを開いたそうな~ (日本昔ばなし風
お釈迦様(ゴータマ・ブッタ)は、この教えを弟子たちに伝えていったそうな~
しかし、この伝承は口伝であり、文字としては残していなかったそうな~ (しつこいw
お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)入滅後、100~200年後に弟子たちが口伝を
取りまとめたものが、スッタニパータやアーガマといった原始仏教の経典になるわけです。

この頃になると教団の規模も大きくなり、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えの解釈を
巡って対立がおきます。
ひとつは、お釈迦様(ゴータマ・ブッタ)の口伝の通り、修行(瞑想)通じ、自分自身が
悟りを開くことを目指すべきだ!と主張するグループ(上座部)
そして、もうひとつは、自分だけが救われるのではなく、多くの人を救う菩薩行の実践
こそお釈迦様の本当の教えだ!と考えるグループ(大衆部=大乗仏教)とに
分かれてしまいました。これが、≪仏教の根本分裂≫です。

そして月日は流れ、上座部仏教は、インドの南部に伝わり、その教えは東南アジアを
中心に広がっていきました。いわゆる南伝仏教といわれるものです。
アジアの仏教国のスリランカやタイ、ミャンマー、カンボジア、等がそうです。(確かw

一方、大乗仏教は、インドの北部から中央アジア、シルクロードを伝わり中国に至ります。
但し、この伝播の過程でいくつもの経典が創作されます。
例えば「 お釈迦様の教えは、本当は、苦しむ人々を救うものだから、私は悟りを
開けますけども、あえて現世に留まり、人々を救います」という菩薩という存在を
作り上げます。
また、「 この長い、長い(宇宙的な)時間の流れの中では、お釈迦さまだけが、
仏陀(悟りを開いた)になったわけではなく、他にも薬師如来さんや阿弥陀如来さん
というありがたい仏様がいるんだよ」という仏陀以外の信仰の対象を作りました。

これが大乗仏教の概略であり、いわゆる北伝仏教と言われるものです。(概略ねw

日本は、飛鳥時代にこの北伝仏教が経典や仏像とともに伝わったので大乗仏教
が一般的な仏教と理解されるに至ったわけです。

さてさて、話を本題の“大乗非仏説”に戻したいのですが、本日はここまで
続きは、次回ということで 。。。



2017/06/06 (Tue) 01:08 |ながっ!トーーク |トラックバック(0) |コメント(0)

“大乗非仏説” についてのあるひとつの考察 [1]

今回は、以前から気になっていた案件について、書いてみたいと思います。

皆さんは、“大乗非仏説” ってご存知でしょうか?
私も仏像やお寺に興味を持ち始める前は、まったく知らなかったことなんですが
概略を申し上げますと、そもそも今、日本に伝わっている仏教(宗派を問わず)は
お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の残した教えとは、全く関係ないよ ( フフフ (´艸`*)
という、初めて耳にすれば 「えーーーーっ」 と耳を疑いたくなるようなお話ですw

ということで少しばかり、調べてみると確かにお釈迦様(ゴータマ・ブッタ)が
残した教えと 現在、日本に伝わっている仏教では、大きく異なった解釈が
されているところがあるようです。 (そうなの?w

本題に入る前に、日本に伝わっている仏教について若干のおさらいを ・・・・・・w
一般的に日本の仏教は、13宗派あるといわれています。
・華厳宗 ・法相宗 ・律宗 ・真言宗 ・天台宗 ・日蓮宗 ・浄土宗 ・浄土真宗
・融通念仏宗 ・時宗 ・曹洞宗 ・臨済宗 ・黄檗宗、で13宗派。
そしてすべてが大乗仏教に分類されます。

“大乗非仏説” は、このすべての宗派が、悟りを開いたお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)
の教えとは 「関係ないねっ」 (あぶ刑事 柴田恭兵風) といっているのです。
それは、「えーーーーっ」 と叫びたくもなります。 (オレだけかw

“大乗非仏説” の大乗とは、≪大きな乗り物≫という意味だそうです。
「 私たちは、多くの人々を救うことができる大きな乗り物に乗っているんですよ」
という考えの仏教ということでしょうか。

では、逆に多くの人々を救うことのできない小さな乗り物のような仏教とは?
これが、なんとお釈迦様(ゴータマ・ブッタ)の残した教えを指しているのです。
ここでも 「えーーーーっ」 と叫びそうですが。。。(笑

お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は、生きることは苦(四苦八苦)で、この世に絶対はなく
常に移り変わり(諸行無常)、ものごとは縁起によって起きる(因果応報)という思想を
基に とにかく生きる苦しみから解き放たれるためには修行(瞑想)をして輪廻から
解脱しなさい と教えてきました。(bonbonno流解釈w

また、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は、修行に専念するためには、人との繋がりを
少なくし 「お葬式にも関わるな!」  「私(ゴータマ・ブッタ)が死んでも崇拝するな!」
と教えていたみたいです。
もちろん、お経なんか唱えません。 お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の時代に経典は
ありませんから、当然です。 
そもそも、お釈迦様(ゴータマ・ブッタ)は、自身を宗教者と認識していたのでしょうか?
という疑問も持ってしまいます・・・・・・w

では、なぜお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えとは違う仏教が現れ、日本に伝わった
のでしょうか?

この話し、長くなりそうなので、本日はここまでw
続きは、次回ということで、ありがとうございました。



2017/06/03 (Sat) 01:08 |ながっ!トーーク |トラックバック(0) |コメント(0)

“覚り(さとり)” についてのあるひとつの考察[3]

Remind ・・・ ・・・。

[1]
ゴータマ・ブッダの“覚り”を考える上では、
①生きることは苦、②死んでも生まれ変わり、苦しみは続く(輪廻転生)
を前提に考える必要がある。

[2]
①ゴータマ・ブッタは覚った後に≪迷った≫。 仏陀=目覚めた人が迷う矛盾
②“覚り”とはゴータマ・ブッタが到達した何かを超越した心理状態ではない
③ゴータマ・ブッタが覚った(理解した)ことは“生きる苦しみ”に対する仏教的な答え

ゴータマ・ブッタは、梵天勧請の後、教えについて 説いて回ります。
ここから仏教(仏陀の教え)が始まったと言えるのではないでしょうか?

ではゴータマ・ブッダは、どんな教えを説いて回ったのでしょう?
実はここで大きな問題にぶち当たります。
ゴータマ・ブッタが仏弟子たちに 何を教え、何を説いて回ったのか? を
正確に記録した文献は、ないのです。(えーーーっマジで?

「いやいや、ちゃんと多くの経典が残っているじゃないっ!」 との声も
聞こえてきそうですが  (んっ? まったく反応なしw
仏教経典は、ゴータマ・ブッタの言葉が比較的正確に書かれている? だろうと
言われている≪アーガマ(阿含経)≫や≪スッタニパータ(経集)≫でも
ゴータマ・ブッタの入滅後(数十年~数百年後)に仏弟子が集まり

仏弟子A
「そう言えば、尊師さま(ゴータマ・ブッダ)は、〇〇での説法の時にこんなことを
言っていたと思うよ」

仏弟子B
「あっ それならオレも聞いたことある」

仏弟子C
「ほんと? それじゃ経典の残しておこう」   とか

仏弟子A
「〇〇の時の説法で、尊師さまが こんなことを言っていたと 聞いたことあるよ」

仏弟子B
「えーっ その話は、初耳だなぁ オレは、聞いたことないぞ」

仏弟子C
「その話は、ちょっと怪しいな 経典には載せないでおこう」  とか

初期仏教の経典においても 仏弟子が、聞いた話を後から集めて編さんしたもの
であり、直接ゴータマ・ブッダの言葉を記録したものはありません。(なるほどw

ちなみに仏教はゴータマ・ブッダ入滅後、数百年が経ち根本分裂が起き
スリランカやタイ、ミャンマー等に伝わった 上座部仏教(南伝仏教)と
唐(現在の中国)や朝鮮半島を経由し日本に伝わった大乗仏教(北伝仏教)に
分かれます。
大乗仏教の経典は、後世の創作が多く(と言われている)、大乗非仏説の根拠と
なっています。
大乗非仏説については、またの機会に長々と綴ってみたいと思います。(またやるのw

話しは戻って、 覚りを開いたゴータマ・ブッタが、何を教えたのかが確定出来ない今、
現在の仏教学者の意見を大まか取りまとめますと (大まかw
十二縁起、諸行無常、諸法無我、等々は、仏陀の言葉として説かれたのではないか
と言われています。それぞれの説明は難しいので省きますが (そこ説明せんのかい!w

“覚り(さとり)”についてのあるひとつの考察 の結論(仮説)は、ゴータマ・ブッダの覚りとは
≪輪廻転生の否定≫ではないかと思います。 (ここまで長かったなw

この世に永遠はなく、過去もなく、未来もなく、ただ、今があるだけ
運命のようなものにより、未来が既に決まっていると言うことはなく
この世の行い(業)が次に生まれ変わる世界を決めるようなこともなく
この世(生)への執着(煩悩を滅し)をも手放せば、生老病死や生まれ変わり
続けることへの恐れもなく ≪輪廻転生≫に拘る(執着する)ことさえ必要ないと
“覚った”のではないかと考えるわけです。
つまり≪輪廻転生の否定≫ (なんの根拠もありませんがw

ゴータマ・ブッダは、生まれ変わり(輪廻転生)を否定した訳ですから、
生まれ変わった後も 生の苦しみが続くと考える訳もなく輪廻から解脱したと
言うことではないかと考えるのです。

仏陀=目覚めた人の≪迷い≫の正体は、輪廻転生が社会の基盤思想にある中で
≪輪廻転生の否定≫を他者に伝えることは難しいと考えたのではないでしょうか?
あたかも天動説が当たり前だった時代に「動いているのは、この大地の方だよ」と
地動説を説いた コペルニクス のように ・・・ ・・・。(Paradigm shift


長々と 稚拙な文章を綴ってしまい、お恥ずかしい限りです。

ここに記した内容は、あくまで個人的な考えであり、既存の思想や宗教観を否定、
批判するものではありません。








2015/09/30 (Wed) 01:08 |ながっ!トーーク |トラックバック(0) |コメント(6)

“覚り(さとり)” についてのあるひとつの考察[2]

Remind ・・・ ・・・。

ゴータマ・ブッダの“覚り”を考える上では、
①生きることは苦、②死んでも生まれ変わり、苦しみは続く(輪廻転生)
を前提に考える必要がある。

出家をした後のゴータマ・シッダールタは、“生きることの苦しみ” から救われる
ために難行苦行に挑みます。
しかし難行苦行を続けても「救われることはない」 と結論付け、菩提樹の下で瞑想を
行ない、ついに“覚り”に達したのでした。
人類史上初めてのブッダ(仏陀)=目覚めた人の誕生です。 (めでたしめでたしw オイッ!

ここまでのポイントは
「難行苦行では、覚れません!」と言うことと
「 瞑想によって覚ることが出来ました」 と言うことです。
逆に言うと “覚る” ためには瞑想が必要と言うことです。

しかし、ホントに注目したい事は、≪梵天勧請≫にある 覚った後のゴータマ・ブッダの行動
もしくは心の葛藤です。(覚った後に心の葛藤??? ちょっと矛盾を感じますw
※梵天勧請詳細は、wikiって下さい。

ゴータマ・ブッダ
「そう言うこと? そういうことだったのね。 いやー、覚っちゃったよ、 覚っちゃった。
んっ?ちょっと待てよ覚ってみたのは良いけれど、これって覚ったオレ以外に理解できる
ヤツっているのかな? まっ いっか 覚った事は、胸の中に大事にしまっておこうw」

梵天
「あれ?ゴータマさん! 今、覚りましたよね? 真理に気付きましたよね?
もしかして、覚りについて誰にも教えないで 内緒にしちゃうつもり ・・・ ・・・?」

ゴータマ・ブッタ
「あっ!びっくりしたっ 急に出て来て 脅かさないで下さいよ 梵天さん。
ええっ 覚りましたよ、確かに覚りました、でも、これって教えて解るものじゃないし
とてもじゃないけど 他の人には理解出来ないと思いますよ。」

梵天
「いやいや、そこを何とか ・・・ ・・・。折角、覚ったんだから、皆さんに教えて上げて下さいよ」

ゴータマ・ブッダ
「そう言われてもね、少し考えさせて下さい ・・・ ・・・。」
※このやり取りは、あくまでフィクションです。 (わかってますw

ゴータマ・ブッタは覚った後に≪迷った≫んです。
覚りについて、自分以外の誰かに教える(伝える)ことを
仏陀=目覚めた人 が迷うと言う矛盾。(ここが面白いw

この梵天勧請に記されたゴータマ・ブッダの “迷い” はなんだったのか?
“覚り” とは、迷いさえも生じない崇高な心理状態かと思っていたんですが
どうも違うような ・・・ ・・・。

では “覚り” とは、“覚りの境地”とは、一体どんな心の到達点なのでしょうか?
ここでもう一度、“覚り”を goo辞書で確認してみましょう (goo辞典好きだなw

さとり【悟り/覚り】1物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。

“覚り”とは、ゴータマ・ブッダが瞑想により到達した≪何かを超越した心理状態≫ではなく
単に “意味を知った” または “理解”した ということではないかと思います。

では、ゴータマ・ブッダは、瞑想により 何を知ったのか?理解したのか?
それはゴータマ・ブッタが、出家してまで救いを求めた “生きる苦しみ”(四苦八苦)に対する
仏教的なある種の答えなのではないかと思うのです。

この続きは、また次回と言うことで ・・・ ・・・。 (引っ張るねw





2015/09/29 (Tue) 01:07 |ながっ!トーーク |トラックバック(0) |コメント(2)

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